芋蔓読書

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聖地アッシジの対話―聖フランチェスコと明恵上人


〜芋蔓〜「明恵上人」から〜



 キリスト教の原罪という感覚が分からず、日本人のキリスト教徒は原罪という感覚を体得してるのかな〜?などという疑問でGoogle検索していたら、この本を紹介しているページが出てきた。
 検索画面から原罪が関係ないことは察せられたが、そのページに以下の序文が紹介されていて、興味を持って読んでみた。河合先生だし。
 読んだ結果としても、原罪は特には関係なかった。

 私は鎌倉時代の名僧、明恵の『夢記』に惹かれ、書物さえ書いた(『明恵 夢を生きる』)のだが、その明恵と聖フランチェスコの類似性を指摘する人があった。
 そこで、聖フランチェスコの伝記などを読み、なるほどと思うことも多かったが、本格的に取り組んで一書を書くほどには熟していなかった。
 ところで、私の『明恵 夢を生きる』を読んでインスパイアされ、日本舞踊家の西川千麗さんが「阿留辺幾夜宇和」という舞踊を創作された。
 公演を見せていただいて私は深く感動したが、「これを、アッシジの聖フランチェスコ教会で踊られると素晴らしいことでしょう」と半ば独り言のように千麗さんに申し上げた。もちろん、私としては実現の可能性をほとんど考えずに言ったのだったが、何と、千麗さんは、それを実現されることになった。
 その経緯も興味深いが省略するとして、千麗さんのアッシジでの公演に私も参加し、明恵についての解説を語ることになった。
 その機会をとらえ、藤原書店の藤原良雄社長とのアレンジでこの対談が実現することになった。


 対談の相手はヨゼフ・ピタウ大司教で、29年間日本におられ、上智大学の学長なども努められたとのこと。対談時点では日本を離れて22年ということですが、日本語でお話されたようです(あとで調べると、また日本で生活され、日本で亡くなったとのこと)。
 こういう対談が実現したということ自体が素晴らしいことで、序文に示されているとおり実現の経緯も興味深いのですが、内容を書き留めようとは思ってなかった。書き出すときりがないし。


 しかし、ひとつだけ。揚げ足取りのようになってしまうのではないかという気もしなくはないが、宗教を超えて尊重しあうというのは難しいものだな〜と思ったので・・・

 イスラム教の人たちは、ローマでちゃんと大きなモスクを建てることはできたんです。(略)しかしアラブ諸国では、キリスト教信者のための小さなチャペルも作ることができません。結局、どういうふうに平等を認めるかが、重要です。例えば昨日もイタリアの小さな町の裁判所で、学校に十字架を置くことはできないという判決がありました。なぜかというと、あるイスラム教徒の子供がいて、自分の宗教の自由を冒すからそれはいけない、と講義したからです。 しかし、他のほとんど90%の人びとの自由を、どうしてもっと認めることができず、彼等の宗教の規則をだんだんとほかの者にも要求しようとするのでしょうか。そこは理解しあって、お互いに尊敬しあってやらねばなりません。譲りあうことです。


 そのイタリアの学校に、十字架と並べて神棚や仏像を置いてほしいと言えば置いてくれるのだろうか。
 私の感覚では、学校に神棚がなくてもストレスを感じないが(神棚がある方がむしろストレス)、十字架があるとストレスを感じる。「何も置かない」というのが譲りあった結果の姿だと思うのだが、「十字架を置かない」ということは「反キリスト的」というか、ストレスを感じる状態なのだろうか。そういうことを思いやることだけでも難しく、その解決策となるとなお一層難しい・・・

 
 お二人の対談とは直接関係ないことですが、あとがきの最後の最後に、対談のきっかけとなった日本舞踊家の西川千麗さんの文章が載っていてたので、メモ。


 プロになって、日本舞踊は何の役に立つのだろうという疑問にとりつかれた。そのとき上村松園先生の本に出会い、舞踏も絵と同じで人の心のため、人は体と心でひとつ、見えるものと見えないものとでひとつ、見えないものへの働きかけが仕事だ、と教えられた。


 上村松園先生の本、読んでみましょう。




上村先生の随筆はこのあたりかな?