芋蔓読書

はてなダイアリーから引っ越しました

生きるとは、自分の物語をつくること


 仕事で社内のあまりよく知らない人(50代前半男性)と長時間車で移動することがあり、共通の話題を探す中で、村上春樹好きという前情報もあったことから、「どんな本を読むんですか?」と聞いたところ、「女性の小説もよく読みますよ。小川洋子とか」という回答を得た。
 自分で話を振っておきながら、私は小説全般をあまり読んでない、女性作家となると、なお一層読んでいない・・・
とにかくそれで「へー」と思ったので、読んでみることにした。
 著書名で検索すると、なんと河合隼雄先生との対談があるではないか!
 それが、これ。
 

 河合先生が小川洋子さんの著書「博士の愛した数式 」とその映画を気に入ったということがあって、対談が実現したとのことですが、この本に納められている対談が先生にとっての最後の対談になったらしい。
 この中に、図らずも日本人にとっての原罪という話題がでてきた(「聖地アッシジの対話―聖フランチェスコと明恵上人」参照)。
 それから、小川洋子さんのお祖父さんが金光教の教師ということで、金光教の信者のおうちに育ったということがわかった。


小川:私の家は、両親、祖父母みんな金光教の信者で、祖父は金光教の教師 だったのですが(略)、金光教は、神様と 人間の関係を作っていく宗教なんです。そしてその関係はまだ確立されていない。なぜなら、神様のことを「親神様」という言い方をするのですが、要するに神様は親なんです。氏子というのは子供で、親神様と氏子が親子の関係を作っていくことが信心するということ。神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるの をみて、心を痛めている。金光教で一番救われていないのが神様なんですね。ですから信者たちは神様を救うために、信心をするんです。
(略)


河合:神様の命令じゃなくて、神様を悲しませないように、というところが面白いね。さっきの続きで言うと、キリスト教は「原罪」が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。
(略)だから僕は、「原罪」に対して「原悲」があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪じゃなくて、原悲から出発してるから、と言っているんです。金光教はその最たるものやね。面白いねえ。


金光教、興味あります。




とりあえず、河合先生が感激したというこれは読みたいですね。


この対談は新潮社の「考える人」に掲載されたもの。
この号のほかの記事も興味があります。今更ですが・・・。


対談 河合隼雄×小川洋子「生きるとは自分の物語を作ること」
河合隼雄ブックガイド たましいの森を歩く
対談 河合隼雄×立花隆「心という領域」
エッセイ
工藤直子 「いつかまた……」
茂木健一郎「人生を何倍も経験して」
松岡和子 「大笑いから始まった」
梅原猛  「熱情の人、中空の人」
佐野洋子 「大いなる母」
中沢新一 「チェシャ猫は笑いだけを残して」
梨木香歩 「河合隼雄という物語」
鶴見俊輔 「独創的なものは京都から」
よしもとばなな 「河合先生ありがとう」


それから、金光教検索でみつけたこれ。


SF作家の金光教入信の体験記?なのか?
以下、Wikipediaかんべむさし)より

近刊である『理屈は理屈 神は神』で金光教への入信をカミングアウトしたが、布教臭は皆無で、信者でありながら第三者的視点をまったく失わないという異例の書である。


『理屈は理屈 神は神』を読んだ!
  〜芋蔓〜「理屈は理屈 神は神」へ〜
金光教」で検索したらでてきた、日本の新興宗教の聖地巡りのルポ、
  〜芋蔓〜日本ばちかん巡りへ〜