芋蔓読書

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ブッダ


〜芋蔓〜「原始仏典を読む」から〜



文庫なので、全12巻の各巻に各界から解説がよせられている。
第10巻の解説は手塚治虫の息子(手塚真)の奥さんになった、漫画家の岡野玲子
岡野玲子手塚治虫を読んだことのない珍しい漫画家で、きっと息子さんはそういうところもポイントだったのではないかな〜と邪推する次第ですが、その馴れ初めなども書かれていておもしろい。
結局、結婚の前に亡くなってしまって、会えなかったように読めます。
が、その手塚治虫の死について書かれた部分がとてもよかった!
こんなに長く引用して大丈夫かな・・・

さあ、まだお会いしたことのなかった手塚のお父さん。おはなしはもちろん、出版社のパーティで遠くから姿を見かけるという経験さえなかったので、ちょっとこわいナとおもいっつも私はお目にかかるのを楽しみにしていました。ところが、お父さんの具合が急に悪くなり、約束は延び延びに。88年秋・冬と入退院を繰り返され、私がお父さんの病名を知ったのは年が明けてからでした。一月末に、手塚と出会うきっかけとなった「ファンシィダンス」が小学館漫画賞を受賞し喜んだのも束の間、2月。お父さんが亡くなったという電話です。その日、とるものもとりあえず手塚の元へ行こうと玄関に立つと、ピンポーン、と友人の漫画家さんたちからの受賞祝いの花束。
夜。
横になっている手塚のお父さんの顔は、私の予想に反して、うっとりと、何かに気をとられているような、何かに夢中で、何かに魅せられて他にかまっていられないようなお顔です。それは、それもまた、とても言葉にするのが難しいのですが。
なあんだ・・・。私をそんな気持ちにさせました。なあんだ、手塚治虫は酷使した身体を置いてけぼりにして自分は何だかもっとおもしろそうなことをしに(見に?)行ってしまわれたのね。巨匠を失って嘆いている大勢の人々のことなんておかまいなしに。
それは一つの私の中の緊張をといて、なんだか、ほっとさせました。光を見たような感じです。
その夜、ホテルで目を醒ましたまま、ベッドの中にいました。頭は冴えていました。脳の中にあった、わけのわからな悲しみ、混乱したようなかたまりはなくなっていました。なんだか、とてもきれいなものか、とてもよいことを見たあとのように、気持ちは清明としていました。それは、私のそれまでの生死(しょうじ)に対する考え方を一変させた夜でした。