芋蔓読書

はてなダイアリーから引っ越しました

日本ばちかん巡り (その3)最終回

〜芋蔓〜日本ばちかん巡り(その2)から〜


さあ、そしてあとがきである。

本書の「はじめに」で、私は、「あえて取材に応じてくれた各教団の度量はたたえられていい」と書いた。しかしいまでは、正直にいって、取り消そうかという気にもなりつつある。


本にするときに、情報を新しくしてちゃんとした注もつけたい、ということで、各教団に問い合わせることとなったが、それが「運のつきだった」とのこと。取材当時と変わらぬ友好的、協力的な教団もなくはないけど、

「単行本への収録はお断りする」「許可しない」といってくる教団があいついだ。
この反応に、私はすくなからず驚いた。そして考え込んだ。いったいなぜだろう。実際、自分でいうのもなんなんだが、新宗教の世界をこのくらい好意的かつ肯定的に描いたルポルタージュも、そう多くはないのではないか。
(略)
いったい私の文章のどこがどう気に入らないのか、そこにどういう「文化摩擦」が起きているのか−それを知りたい、という誘惑のほうが、私にはずっと大きかったからである。
その際の一字一句をめぐる攻防をここに再録できないのは、まことに残念というほかない。もしそれが可能なら、この本は、確実にいまの三倍は面白くなっていたろう。
(略)
私は本文のなかで、新宗教は日本の文化に深く根をおろしていると書いた。実際にそのとおりである。聖別されたコミュニティーのなかにも、官僚主義とことなかれ主義の日本があり、もっぱら自分の失点だけを恐れる中間管理職がいて、一人ではなにも判断のできない日本の「サラリーマン」がいる。
(あとがき)


その攻防知りたかったですな〜。
取材した当初は、顔と顔を突き合わせていろいろ話した結果として記事ができているけれども、それを別の関係者が見たらまったく別の感想を持っても仕方ないかもと思う。それも、必ずしもことなかれ主義、個人の保身とも言い切れないケースもあるのではないか。
まあ、直接応対した著者がそう思ったんだから、そういう態度だったというほかないですが。
こういった毒気がなければ一般人にとっては全然おもしろくないものになるし、あればあったで不快にさせてしまう恐れは出てくる。
しかし、教団のみなさん、信者のみなさんには、私はこれを読んで好意的、肯定的な気持ちを持ったということをお伝えしたいところである。
もちろん、あくまで異文化を尊重する、という立場で・・・。


文庫化にあたってさらに情報が更新されているなら読みたいが、同じ労を再びとるとは思えないな・・・
文庫用の序文や解説やあとがきはあるかもな。それは読みたいな。


全然関係ないが、この「日本ばちかん巡り」を読むぞと決めていながら後まわしにしていたときのこと。
そのとき読みまくっていた北大路公子のエッセイに本書が登場してびっくり!
「ばちかん巡り」を「ばかちん巡り」と思っていた、というだけの内容での登場だったが・・・。
雑誌に連載されていたのを読んでいて非常におもしろかった。早く単行本化してほしい、ということも書いてあったかな。

たぶんこれだったと思う↓
「最後のおでん 続・ああ無情の泥酔日記」北大路公子


同じ著者のエッセイをたまたまみつけた。
〜芋蔓〜若干ちょっと、気になる日本語へ〜

日本ばちかん巡り(その2)

〜芋蔓〜日本ばちかん巡り(その1)から〜


続きです。
さて、内容はというと。
もう一度、目次を見てみましょう。

オウム真理教―六年目の夏
天理教おぢばという名の磁場へ
金光教―人もたちゆき神も立ちゆく
大本―霊界二都物語
世界救世教―あまりに天国的な
真如苑―霊能者のいる秘密の花園
善隣会(教)―おすがり王国の空高く
崇教真光―種人よ起て手をかざせ
天照皇大神宮教―「踊る宗教」歌説法の聞こえる里
出雲大社神在月の浜辺
辯天宗―「走り辯天」の春
伊勢神宮―ご遷宮の夜が来るまで
生駒山系の神々―済州島は八百キロの彼方
松緑神道大和山―北の聖共同体
いじゅん―琉球にミロク世の風が吹く

(目次より)


出雲大社伊勢神宮も訪れるんかい!
日本人にとってそれほど異文化ではないし、ジャーナリストじゃないと踏み込めないような目新しい場所でもない。
が、出雲大社の項を読んで驚いた。
出雲大社って新興宗教だったんですね・・・
従来のいわゆる神道でもあるらしく、そのへんが理解しにくいのですが。

しかし、出雲大社は、ただ神道系宗教の実家の役にだけ甘んじているわけではない。出雲神道の宗家として、大社もまた自前で新宗教の教団をかかえてきた。(略)
それからもう一つ、大社の境内の地続きには出雲教という別の教団もあって、(略)これも出雲大社にはゆかりの深い新宗教教団で、大社教と同様、明治時代からつづいている。
いったいどうして、隣り合ってふたつも教団があるのか。これを一口で説明するのは難しいが、簡単にいえば、それは「国造(こくそう)さま」がふたりいるからである。
一般の参拝客の目をひくことはあまりないが、出雲大社の境内の西隣と東隣には、このふたりの国造さまが代々住んできた広大なお屋敷がある。
「こっちが千家国造館で、あっち側にあるのが北島国造館。千家のほうが大社教で、北島のほうが出雲教になるわけだなあ」
出雲大社神在月の浜辺【島根県大社町】1993年)


知らなかったよ!!
これもねえ・・・両家の対立をあおるようなというか、大丈夫かというかきぶりなんだが・・・大丈夫か?!
ちなみに、伊勢神宮の方は新興宗教ではなく、遷宮(前々回のこと)について書かれている。
儀式の招待客として新興宗教も来ていたということが少しだけ出てくる。


そして、辯天宗
知らないな〜。奈良県五條市か〜。と思ったら。

(略)辯天宗が創立した学校法人、智辯学園中学・高校の校舎がある。智辯高校野球で全国的に有名な学校だが、ここもまた天理やPLと同様新宗教系の学校だということは、あまり知られていないのではあるまいか。


知らん、知らん!
辯天宗という宗教自体、初めて知った。聖地周辺にはしょちゅう行っているが・・・
ちなみに、父に「高校野球が強い高校って新興宗教関係なんだね」というと、「どこ?」と。「PLとか天理とか智辯和歌山」というと、「智辯は知らないけど、天理は新興宗教とは言わんでしょ〜」とのこと。
そういう感覚なのか。
しかし、下記を読むと、この辯天宗ももはや新興宗教と言わないのではないかと。

(略)新宗教の信者にはあまり見かけないタイプだが、こういう人は、いったいなにをきっかけにして信者になるのだろうか。やはり病気だろうか。それとも子供の問題だろうか。
「いいえ、とくになにも・・・。たまたまうちのご近所のお宅が、みなさん入ってらっしゃるものですから」
(略)
どうやらこのあたりでは、「辯天さん」は、いわゆる新宗教のひとつに数えなくてもいいことになっているらしい。おそらく、地元のひとの多くは、せいぜい町内の神社の氏子になるくらいの感覚で、この教団に出入りしているのではあるまいか。
辯天宗−「走り辯天」の春【奈良県五條市大阪府茨木市】1993年)


日本人でなくても、世界中の多くの人は町内会に所属するような形で宗教に関わっているのではないか。
もはや教義や信仰なんて関係ないくらい地元との結びつきができている宗教を、伝統的な宗教と区別する意味があるのだろうか。
まあそれを客観的・定量的に見分けるのは難しいか。
どういう目的で区別したいかにもよりますね。


次も奈良(と大阪の境目)の生駒山系の神々。
大雑把にまとまっているが、ここに朝鮮の伝統的な宗教が残されているらしい。

朝鮮の伝統社会では、病人がでたとき、事故や不運が重なったとき、これを祖霊をないがしろにしたせいだとみて、巫俗による盛大な先祖供養のお祭をする。これが賽神、またはクッで、大阪の在日社会でも、この厄祓いと運勢転換のパフォーマンスは、故国と同じように行われてきた。クッは朝鮮寺を会場に、普通で3日から5日、ときに7日から10日もぶっ通しで行われる事があるという。
生駒山系の神々−済州島は800キロの彼方【奈良県大阪府】1994年)


全然知らなかった。行ってみたい。
この項も著者の人徳を感じた。


あと少し続きます。
〜芋蔓〜日本ばちかん巡り(その3)へ〜

日本ばちかん巡り (その1)


〜芋蔓〜生きるとは、自分の物語をつくることから〜
〜芋蔓〜理屈は理屈 神は神から〜


金光教を検索していたら出てきた。
日本における宗教団体の聖地を訪れたルポルタージュ
この本の中で、訪れた聖地は下記のとおり。

オウム真理教―六年目の夏
天理教おぢばという名の磁場へ
金光教―人もたちゆき神も立ちゆく
大本―霊界二都物語
世界救世教―あまりに天国的な
真如苑―霊能者のいる秘密の花園
善隣会(教)―おすがり王国の空高く
崇教真光―種人よ起て手をかざせ
天照皇大神宮教―「踊る宗教」歌説法の聞こえる里
出雲大社神在月の浜辺
辯天宗―「走り辯天」の春
伊勢神宮―ご遷宮の夜が来るまで
生駒山系の神々―済州島は八百キロの彼方
松緑神道大和山―北の聖共同体
いじゅん―琉球にミロク世の風が吹く

(目次より)


もはや当初の金光教への興味からは離れ、単におもしろそうだから読んだ。
前に読んだ五十嵐さんの「新宗教と巨大建築 2007/6/9記事参照)」も同じように新興宗教の聖地を巡っていますが、五十嵐さんのは建築、こちらは場・土地を訪れるというより、人との接触が印象に残る。
接触っておかしいか。ふれあい?

このルポルタージュは、かならずしも宗教そのものへの関心を出発点にしているわけではない。宗教はあくまで一つの切り口であって、私の問題意識、というとおおげさだが、当初の関心はべつのところにあった。
日本は単一文化的な国だというが、本当にそうなのか。私たちにはよく見えていないだけで、実際はけっこう多分化的なのではあるまいか。
(略)
そして、こうした宗教系の文化マイノリティーたちは、日本の各地にそれぞれの「バチカン」をつくり、そこをそれぞれのよりどころにしている。したがって、日本のなかには、ローマのバチカン市国のような、地続きだがその本体とはまた別の、小さな国々がたくさん存在する。これが、連載のタイトルを「日本ばちかん巡り」とした理由でもある。この「ばちかん」には、むろん宗教の本山という含意もあるが、私のなかでは、国のなかの国という意味あいのほうがむしろ大きかった。
(はじめに)

6年がかりの異文化体験は、いつも私を楽しませてくれた。しかし取材にこぎつけるまでの段取りもそうだったわけではない。けんもほろろに拒絶する教団、マスコミと聞いただけで門前払いをくわせる教団。これがむしろ普通で、二つ返事でオーケーになるところはまずない。日本のジャーナリズムが、これまでこの「異文化」をいかに冷遇し、しばしば敵視してきたか。そのツケを、期せずして払わされた格好だったが、そうしたなかで、あえて取材に応じてくれた各教団の度量はたたえられていい。
(はじめに)


でしょうなあ。
チャレンジしたけど断った教団ってどこなんでしょう。


芸術新潮」で1990〜1995年に連載されていたもので、この単行本の出版は2002年。そして、今知りましたが、文庫化(日本ばちかん巡り (ちくま文庫))もされているのですね。
しかし、雑誌掲載は今から20年も前のことなので、だいぶ雰囲気は変わっているのでしょうね。
というか、雑誌掲載から単行本化までに10年前後経っていて、この間の変化もかなり大きい様子。


世界救世教の章の最後には、教団の広報部の文書が掲載されている。
雑誌掲載時(≒取材時)にはお家騒動中で、単行本化の時期には3つに分裂してしまったとのこと。
分裂というのも語弊があるのでしょうか、

包括宗教法人世界救世教」のもとに「世界救世教いづのめ教団」、「東方之光」、「世界救世教主之光教団」の三つの非包括法人の体制になっております


とのこと。

「日本ばちかん巡り」発刊(再発刊)にあたって


(略)
情報化社会の今日、12年前の記事があたかも現状のごとく再掲載されますことは、本教関係者はじめ読者に対して誤った情報を発信することであり、本教に関する記事の掲載中止または再取材を申し入れましたが受け入れられず、本教にとってはまことに遺憾なこととなりました。
従って、現状と大きく相違し、読者に誤解を与えかねない内容のうち、どうしても看過できないものについて、次の通り説明を加えご理解を願うしだいであります。
(略)
なお、この記事は全体的に興味本位ととられるような表現の目立つ内容であり、説明の必要を感じますが、この二項(略した部分)の説明をもって私共の真意と活動をご理解いただければ幸いであります。

世界救世教 広報プロジェクト
世界救世教−あまりに天国的な【神奈川県箱根町・静岡県熱海市】1990年)


いやあ、まったくごもっとも!
全ての教団からこのような(「全体的に興味本位ととられるような表現の目立つ内容であり、説明の必要を感じます」)苦情が出てもおかしくない。
まったくもって「応じてくれた各教団の度量はたたえられていい」。
単行本化にあたって、たぶん全教団に許可をもらいにいったのだと思うが、ほかの教団でも、注釈一覧に「教団からのコメント」が散見される。単に補足してくれているものも含めて。


「興味本位ととられるような表現」の一例を挙げよう。
(私が個人的に、そうとられてもしかたがない、と思った例です)


善隣会(教)

やります−。善隣会の信者は、キリスト教徒のアーメンのように、ことあるごとにこの唱えことばを口にする(と文献や資料にはある)。しかし、私はまだ見たことがない。
(略。みせてほしいと頼む)
「ええ、いいですよ」
Mさんは、いうがはやいか「やります」の構えをした。この唱えことばも独特だが、そのときにするポーズは、さらにもうひとつユニークだった。右手は肘から直角に曲げてまっすぐに立て、左手は腹の前で水平に構える。ようするに、ウルトラマンのあの格好である。
(略)
ありがとうございました。私は丁重に礼をいってから、こうつけくわえた。でも、それ、なにかに似ていませんか。
ウルトラマンですか?でもちがいますよ」
Mさんは真面目な顔で首を横に振る。
「いいですか、ウルトラマンはこうなんです」
そして、再びやりますの構えをすると、今度は水平に構えた左手の手のひら(いままでは上向き)をくるりと返して下に向けた。その格好で私のほうに向き直ると、Mさんはにっこり笑いながら、スペシウム光線を発射するのだった。
(善隣会(教)−おすがり王国の空高く【福岡県筑紫野市】1991年)


同じく善隣会の「御神尊感謝大祭(ひょっとこ祭り)」の様子。

いやはや、たいへんな事態である。手振り腰振りもたくみに、ヒゲの教主がスパンコールのハッピをひるがえして踊る、踊る。教主が踊れば、お供をするハッピ姿の本部職員や教師たちも大いに奮い立って踊る、踊る。ステージの下では、「ぜんりんっ子」の子どもたちも踊りだして、秋の日がふりそそぐ善隣プラザに、たちまち「笑わんかい」と「ワッハッハー」のやります世界が出現した。
ところが、その踊りの輪のなかでひとり、「三代さま」だけがなぜかさめている。いちおうその身振りはしているものの、ヤレヤレという感じで、さっぱり踊りに身が入っていない。
10分後、ひょっとこ音頭からようやく開放されて、テントの裏で煙草に火をつけている道臣さま(「三代さま」)に、私はそっと声をかけた。
 マジメに踊ってませんでしたね?
「いやあ、恥ずかしくって・・・。酔っぱらってないと、あれはとてもできませんよ」
長身の王子は、てれ笑いをしながら、少しあごを突き出して、いまどきの若者が「かんべんしてくださいよー」というときの顔をしていった。
「だから、みんなと目があわないように、ずっと下むいて踊ってたんです・・・」
しかし、考えてみれば、いまやひょっとこ踊りの名手であるかのお父上だって、学生時代はモダンジャズにいれあげていたのである。ま、王子もそのうち慣れることだろう。
会釈をして立ち去ってゆく三代さまの背中を見送りながら、私がそんなことを考えていると、いれちがいにテントのなかからギンギン衣装の教主が小走りに出てきた。おやトイレにでもいらっしゃるのだろうか?教主は私をみつけると、にっと笑いながら「どお、面白いだろ?」と右手の拇指を立ててみせ、そしてそのまま裏手のほうへひょいひょいと駆けてゆく。どうやらこちらはまだ、ひょうっとこ音頭のノリが継続中のようである。
(善隣会(教)−おすがり王国の空高く【福岡県筑紫野市】1991年)


すばらしい!
いやあ、いいですね〜。
教団もお祭りも素晴らしいし、その素晴らしさの伝わってくるルポではあるけど、いいのか、こんなふうに書いて・・・?


あ、この「興味本位ととられるような表現」をやんわり怒られているところを発見!
崇教真光には外国人の信者もいて、フランスからご奉仕にやってこられたと思しき人々に関する記述。

いい年をした西洋人が、しかも集団で雑巾がけをしているところというのは、なかなか奇妙な光景である。見ようと思っても、めったに見られるものではない。
それをかたわらに立って眺めている日本人の私のほうが、なんだか落ちつかない。私の頭のなかに、ふと、「抑留敵国民虐待」「BC級戦犯」といった、不吉な活字が浮かんだ。
崇教真光−種人よ起て 手をかざせ【岐阜県高山市】1992年)

やめなさい!
私でもそう思う。
案の定、

[注3]教団からのコメント−194頁の4行目の「抑留敵国民虐待」、「BC級戦犯」は、当教団と一切関わりあいがございません。崇教真光は、愛知の世界の創造、人類恒久平和を目指しております。したがって戦争の問題とは何ら関わりなく、悩み苦しむ一人でも多くの方々が救われ、幸せになってゆくことを願っております。
崇教真光−種人よ起て 手をかざせ【岐阜県高山市】1992年)


もちろんです!わかります。
著者が悪いよ・・・
おもしろいけど。
茶化したくなるのもわかるし、これによって教団の方の真摯な姿が垣間見れてほのぼのとした気持ちになるのですが、不愉快に思う読者がいても無理はない。


つづきます。
〜芋蔓〜日本ばちかん巡り(その2)へ〜


文庫はこちら。

理屈は理屈 神は神


〜芋蔓〜生きるとは、自分の物語をつくることから〜


SF作家であるかんべむさし氏が、金光教に入信するに至った経緯などを書いた体験記、になるのでしょうか。

あの方(サトウサンペイ)に「ドタンバの神頼み」という、ご自身の信仰体験をユーモラスに紹介した、とても読みやすい本があるんです。
サトウさんのこの本には、「信じる者」特有の押しつけがましさがなく、好印象を得ていた。
たとえば、「私が信仰している宗教には」とか、「中之島近くのT教会」、「銀座2丁目のG教会」といった書き方がされており、本文中にはその実名が出てこない。それらは、巻末で注記されているだけなのである。


いやまったくそのとおり、上記のことがこの本自体にもあてはまりますよ。
この本には、「金光教」で検索した結果自然とたどりついたのですが、読み進めても、著者が何の宗教に入信したのかはずーっとふせられたままで、著者が明らかにしたくない、と思っている内容が、検索でひっかかってしまうというのは問題なのでは?と思ったら、サトウサンペイ氏とまったく同じで、あとがきみたいなところ、つまり、巻末で明らかにされたのであった。
ちなみに、サトウサンペイ氏の著書とは、上記のような書き方が似ているだけでなく、主旨もほぼ同じといってよい。
どちらもおもしろいですが。
しかし、これはよい書影。帯にサトウサンペイ氏の絵がついているから、これで誰だかすぐ分かる。


入信のきっかけのひとつ、というか、きっかけよりまだずっと手前のところ。

断続的ながら、特定のテーマを追って読み続けてきた本もあり、その一例が願望達成、自己実現の分野である。
願望達成法は、先に書いた三経験(願いがかなった例)によって興味を覚え、ものごとを成功に導く意識システムが知りたくて勉強を始めた。
また自己実現法は、心配症で抑うつ基質の自分が嫌になることも多いため、これこそ内向性の証拠であるらしいのだが、書籍で学んでその改善をはかるべく、読みだしていた。
すると、どちらも想像力や潜在意識の活用が軸になるのだとわかり、そこからおのずと、その点に照らしての取捨選択が始まった。


私はこういう考えが希薄で、超能力をつけたいという希望もないので、宗教とは実践である、ということは分かっていながら、なかなか実践には取り組めないのであった(宗教の目的は願望達成、自己実現、超能力の獲得ではないのですよ!>自分)。

信話集には信心の稽古という言葉がよく出てくるのだけれど、読みだした当初はこれが腑に落ちなかった。
(略。野球の知識があるだけではグラウンドに入ってプレイはできないという話)
「そうか。信心も、知ることや見ることではなく、することであり、観客や素人解説者になることではなく、プレイヤーになることなんだな。だから当然、何らかの練習も必要になるというわけか」
「知る」が知識の獲得、「わかる」がその内容に対する理解と納得だとすれば、それを実行「できる」域にまで持っていく。そのとき、信心と生活とを別にせず、日々の暮らしや仕事に折り込み、それらの活気と充実をめざしてく。
そういう稽古であるらしかったのだ。


無私無欲を目指して稽古するのだとおもいきや、全然違う。

人間は生まれ落ちるときから欲がある。しかし、最初は母乳を求めるだけの欲ただひとつだった。それが、もの心つくに従って、「あれもほしいこれもほしい」となるのです。信心もそのとおりです。はじめは「家内安全商売繁盛」でしまいだったのが、一年二年と信心が進むにつれて、十、二十、三十と願いが増えてくるのです。これが本当です。


信心をの稽古をしたら、望みは家内安全商売繁盛方面から世界平和方面へ行きそうなものだけど、逆なのか。
かんべむさし氏は、当初の「願望成就」という観点から、こういった金光教の教えがしっくりきたのかもしれないが、私にはここが非常に難しい。
願望はいろいろあるけど、神様にいちいちいっちゃいけない気がする。欲張ってはいけない気になる。
だからといって金光教に興味が持てないわけでは全然なく、いやあ、これは入信したくなる気持ちが分かる!と思った。
天理教もいいなあ、と思ったが、それはとっても明るいところ。天理教についてはいろいろ書きましたが。
「教祖様」 参照)
金光教がいいなあ、と思ったのは、とってもやさしいところ。
教祖ではないが、宗教的カリスマと直接対面できて、そのカリスマが神様ととりついでくれる。私のために祈ってくれる。


いいなあ、と思った例。

信者が帰るとき、先生(安太郎先生)が「さよなら」と言ってくれる、その一言にまことに情がこもっているので、皆それを楽しみにしていた。
けれども別の信者の願いを聞いているときなど、挨拶されても返せないことがある。すると帰宅してから、今日は「さよなら」を言ってもらえなかったと、泣くものが出てきた。
仕方がないので、あまり情のこもらない「さよなら」が言えるよう、稽古したのだという。


かんべむさし氏が入信したころにはすでに安太郎先生はおられなかったようですが・・・。
そしてもはや金光教は関係ないといえば関係ないというか・・・
そんなことないですよね、金光教の実践(?)のなかで、この人徳を身につけられたのでしょうから。

私の信仰しているところの宗教は、だれでも、いつでも「教主さま」にお目にかかって、話を聞くことができる。”だれでも、いつでも会える教主さま”が、朝の4時から夕方の4時まで座り続けて、取次ぎをしておられる宗教というのは、他にはそうないだろうと思う。
(ここだけサトウサンペイ「ドタンバの神頼み」より)

金光教についてはこの2冊でかなり満足したのですが、聖典は読んでおくべき?
安太郎先生のお話(湯川安太郎信話)は、amazonにはないが、金光教の教会で取り扱いがある。通販もある様子。



金光教」で検索したらでてきた、日本の新興宗教の聖地巡りのルポ、
  〜芋蔓〜日本ばちかん巡りへ〜

生きるとは、自分の物語をつくること


 仕事で社内のあまりよく知らない人(50代前半男性)と長時間車で移動することがあり、共通の話題を探す中で、村上春樹好きという前情報もあったことから、「どんな本を読むんですか?」と聞いたところ、「女性の小説もよく読みますよ。小川洋子とか」という回答を得た。
 自分で話を振っておきながら、私は小説全般をあまり読んでない、女性作家となると、なお一層読んでいない・・・
とにかくそれで「へー」と思ったので、読んでみることにした。
 著書名で検索すると、なんと河合隼雄先生との対談があるではないか!
 それが、これ。
 

 河合先生が小川洋子さんの著書「博士の愛した数式 」とその映画を気に入ったということがあって、対談が実現したとのことですが、この本に納められている対談が先生にとっての最後の対談になったらしい。
 この中に、図らずも日本人にとっての原罪という話題がでてきた(「聖地アッシジの対話―聖フランチェスコと明恵上人」参照)。
 それから、小川洋子さんのお祖父さんが金光教の教師ということで、金光教の信者のおうちに育ったということがわかった。


小川:私の家は、両親、祖父母みんな金光教の信者で、祖父は金光教の教師 だったのですが(略)、金光教は、神様と 人間の関係を作っていく宗教なんです。そしてその関係はまだ確立されていない。なぜなら、神様のことを「親神様」という言い方をするのですが、要するに神様は親なんです。氏子というのは子供で、親神様と氏子が親子の関係を作っていくことが信心するということ。神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるの をみて、心を痛めている。金光教で一番救われていないのが神様なんですね。ですから信者たちは神様を救うために、信心をするんです。
(略)


河合:神様の命令じゃなくて、神様を悲しませないように、というところが面白いね。さっきの続きで言うと、キリスト教は「原罪」が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。
(略)だから僕は、「原罪」に対して「原悲」があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪じゃなくて、原悲から出発してるから、と言っているんです。金光教はその最たるものやね。面白いねえ。


金光教、興味あります。




とりあえず、河合先生が感激したというこれは読みたいですね。


この対談は新潮社の「考える人」に掲載されたもの。
この号のほかの記事も興味があります。今更ですが・・・。


対談 河合隼雄×小川洋子「生きるとは自分の物語を作ること」
河合隼雄ブックガイド たましいの森を歩く
対談 河合隼雄×立花隆「心という領域」
エッセイ
工藤直子 「いつかまた……」
茂木健一郎「人生を何倍も経験して」
松岡和子 「大笑いから始まった」
梅原猛  「熱情の人、中空の人」
佐野洋子 「大いなる母」
中沢新一 「チェシャ猫は笑いだけを残して」
梨木香歩 「河合隼雄という物語」
鶴見俊輔 「独創的なものは京都から」
よしもとばなな 「河合先生ありがとう」


それから、金光教検索でみつけたこれ。


SF作家の金光教入信の体験記?なのか?
以下、Wikipediaかんべむさし)より

近刊である『理屈は理屈 神は神』で金光教への入信をカミングアウトしたが、布教臭は皆無で、信者でありながら第三者的視点をまったく失わないという異例の書である。


『理屈は理屈 神は神』を読んだ!
  〜芋蔓〜「理屈は理屈 神は神」へ〜
金光教」で検索したらでてきた、日本の新興宗教の聖地巡りのルポ、
  〜芋蔓〜日本ばちかん巡りへ〜

番外編

〜芋蔓〜#本のときめきタイトル10選から〜


1年近くこの企画をあたためて(?)いた間に、いろんなときめきタイトルに遭遇した。
列記する。
どれも読んでいない。


(11)元気で大きいアメリカの赤ちゃん(原題はNice Big American Baby)
(12)君は永遠にそいつらより若い
(13)放っておけば、やがて未来
(14)怪力の文芸編集者
(15) 妻の帝国
(16)写真と童話で訪れる高尿酸血症と奇岩・奇石



13と14は同じ中原昌也で、13を知っていいなと思って検索して14を知った。
よくよく調べたら短編のタイトルで、両方とも「ニートピア2010」という単行本に収録されているようだ。
16は全然ときめかないが、目を疑った。「高尿酸血症」さえなければ、「写真と童話で訪れる奇岩・奇石」というのはあり得るタイトルとも思うが、「高尿酸血症」がはさまっているせいで、全ての単語の結びつきに無理が生じている。
シリーズで出ていて(というのもすごい)、真面目な本らしいが、自費出版でやってはどうか、という気もした。


写真と童話で訪れるアルプスと高血圧
写真と童話で訪れるアンコール遺跡群と乳がん―がんの予防と共存を考える
写真と童話で訪れる糖尿病性腎症とナイアガラ―インスリン発見のルーツを訪ねて
写真と童話で訪れる北欧(スカンジナビア)と関節リウマチの話
写真と童話で訪れるインスリンのふるさとデンマーク
写真と童話で訪れる熊野古道と慢性腎臓病―徐福 不老不死の薬を求めて
写真と童話で訪れる野口英世のふるさと―博士と考えるインフルエンザ
写真と童話で訪れる沖縄とメタボリックシンドローム


「タイトルだけ大賞」という賞でなんらかの賞を受賞しているようだ。
この賞はどちらかというと「笑い」という観点からの評価が高いようで、ときめきとはちょっと違うが、これはこれでおもしろい。


日本タイトルだけ大賞受賞作品


★2014年「人間にとってスイカとは何か」

★2012年夏の陣「月刊 円周率」

★2010年「ヘッテルとフエーテル 本当に残酷なマネー版グリム童話


などなど。

サルなりに思い出すことなど


〜芋蔓〜#本のときめきタイトル10選から〜





(10)サルなりに思い出すことなど
タイトルに惹かれて読み、内容もおもしろかった。
タイトルと内容の関係もよい。ユーモアとかなしみ。
元のタイトルは「A Primate's Memoir」、直訳するなれば「ある霊長類の回想録」、原題も訳もよい。


サブタイトルどおり、神経学者が研究対象であるヒヒを追ってアフリカで生活していたときの回想録で、自伝、青春期という要素が強く、研究内容自体はあまり詳しくは語られないが、そっちにも興味を惹かれた。
文章がうまいというか、軽妙洒脱な感じが好みだった。訳のよさなのだろうか。「銀河ヒッチハイク・ガイド」や「これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景」などのダグラス・アダムスを思い起こさせる。
1970年代〜1990年代の20年間くらいの話なので、どうしてもアフリカ現代史に触れることになる。
「歴史」なんておおげさでなくても、著者のフィールド(どこだっけ・・・)のごく狭い範囲の20年間の社会の変化とそれに伴うヒヒをとりまく自然環境の変化だけを見ていても、それがどういう方向に向かうのかということが、自分の少ない知識と著者の文章のトーンから察せられ、途中から読みすすめるのが辛くなってくる。
神経科学の研究、ヒヒの生態、アフリカの歴史、環境問題などが背景に流れてはいるものの、基本的にはエンターテイメント。
サル学にもアフリカにも興味なくても楽しめると思う。



有言実行、当初の宣言通り、短期集中連載できて満足である。
10個の記事を書くのに1ヶ月近くかかってしまったが、普段のことを思えば十分短期といえるでしょう。
あと1回くらい「ときめきタイトル」について書いて、それで終わりにしたい。


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