芋蔓読書

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日本ばちかん巡り (その3)最終回

〜芋蔓〜日本ばちかん巡り(その2)から〜


さあ、そしてあとがきである。

本書の「はじめに」で、私は、「あえて取材に応じてくれた各教団の度量はたたえられていい」と書いた。しかしいまでは、正直にいって、取り消そうかという気にもなりつつある。


本にするときに、情報を新しくしてちゃんとした注もつけたい、ということで、各教団に問い合わせることとなったが、それが「運のつきだった」とのこと。取材当時と変わらぬ友好的、協力的な教団もなくはないけど、

「単行本への収録はお断りする」「許可しない」といってくる教団があいついだ。
この反応に、私はすくなからず驚いた。そして考え込んだ。いったいなぜだろう。実際、自分でいうのもなんなんだが、新宗教の世界をこのくらい好意的かつ肯定的に描いたルポルタージュも、そう多くはないのではないか。
(略)
いったい私の文章のどこがどう気に入らないのか、そこにどういう「文化摩擦」が起きているのか−それを知りたい、という誘惑のほうが、私にはずっと大きかったからである。
その際の一字一句をめぐる攻防をここに再録できないのは、まことに残念というほかない。もしそれが可能なら、この本は、確実にいまの三倍は面白くなっていたろう。
(略)
私は本文のなかで、新宗教は日本の文化に深く根をおろしていると書いた。実際にそのとおりである。聖別されたコミュニティーのなかにも、官僚主義とことなかれ主義の日本があり、もっぱら自分の失点だけを恐れる中間管理職がいて、一人ではなにも判断のできない日本の「サラリーマン」がいる。
(あとがき)


その攻防知りたかったですな〜。
取材した当初は、顔と顔を突き合わせていろいろ話した結果として記事ができているけれども、それを別の関係者が見たらまったく別の感想を持っても仕方ないかもと思う。それも、必ずしもことなかれ主義、個人の保身とも言い切れないケースもあるのではないか。
まあ、直接応対した著者がそう思ったんだから、そういう態度だったというほかないですが。
こういった毒気がなければ一般人にとっては全然おもしろくないものになるし、あればあったで不快にさせてしまう恐れは出てくる。
しかし、教団のみなさん、信者のみなさんには、私はこれを読んで好意的、肯定的な気持ちを持ったということをお伝えしたいところである。
もちろん、あくまで異文化を尊重する、という立場で・・・。


文庫化にあたってさらに情報が更新されているなら読みたいが、同じ労を再びとるとは思えないな・・・
文庫用の序文や解説やあとがきはあるかもな。それは読みたいな。


全然関係ないが、この「日本ばちかん巡り」を読むぞと決めていながら後まわしにしていたときのこと。
そのとき読みまくっていた北大路公子のエッセイに本書が登場してびっくり!
「ばちかん巡り」を「ばかちん巡り」と思っていた、というだけの内容での登場だったが・・・。
雑誌に連載されていたのを読んでいて非常におもしろかった。早く単行本化してほしい、ということも書いてあったかな。

たぶんこれだったと思う↓
「最後のおでん 続・ああ無情の泥酔日記」北大路公子


同じ著者のエッセイをたまたまみつけた。
〜芋蔓〜若干ちょっと、気になる日本語へ〜