芋蔓読書

はてなダイアリーから引っ越しました

宗教聖典を乱読する



これは!まさに私が求める本!おもしろそうです。
コーランと違って、何を聖典とするか一言では書きにくい宗教もあるのですが、だいたい下記の幹事で紹介されていました。


長い引用ばかりになりますが・・・
イスラームのところで。

数年前、女性問題について各国のフェミニズム論者が集まる会議を見学しました。
席上、アメリカの女性が「イスラームの女性は抑圧されている。我々と連携して権利を勝ち取ろう。スカーフを脱ぎ捨てていっしょにやっていこう」と発言しました。
この発言に対して、あるひとりのムスリマが「私たちは今の状況に満足しているわけではないし、女性の権利を向上させていく活動は進めていく。しかし、あなた方の視点を押し付けられても困る。正直言って、あなた方の社会がとてもすばらしいとも思っていない。私たちの社会にも守りたい大切なものがたくさんある。誇りを持ってスカーフを被る仲間もいる」と答えていました。

かっこいい!!
なんか、この会話の感じ、分かります。宗教やなんかと関係なく。


補講Iとして、聖典を読むのと関係なく、イスラーム原理主義を改めて考えるというところから。

イスラム原理主義は、欧米型の近代構造が生み出した」、そう喝破したのは小河忠であった。
(中略)
小河はその著テロと救済の原理主義 (新潮選書)の中で、中東諸国の”怨みの連鎖”問題の根っこに「尊厳の格差」があることを指摘している。
小河は、「自爆テロの動機は宗教的教義よりも政治的要因である」ことを見抜き、「今後、注意すべきは尊厳の不平等だ」と強調するのである。
「近代」は「尊厳ある自己を確立せよ」というメッセージを発し続けることで、「誇りの不平等」による苦悩と憎悪を再生産し続けているのである。
(いろいろ略)
スカーフ問題の女性の言うように、イスラームは「欧米型とは別の近代」を目指していかねばならない。私はイスラームにはその可能性があると思う。


「尊厳ある自己を確立せよ」
これです!私の読書のテーマは!
「欧米型とは別の近代」、「欧米型とは別の自己」ってなんなのでしょうかー


さて、仏教のところでは、養老先生のベストセラー「バカの壁 (新潮新書)」について書かれているのですが、これについてひとこと。私はバカの壁は読んでいません。

バカの壁」には書かれていませんが、養老先生が東大で解剖学を教えているときに、オウム真理教の信者がゼミ生にいたそうです。
その学生が、「先生、今度の週末に麻原尊師が水の中に一時間潜るという奇跡を起こしますので、証人になって下さい」と言われたそうです。
それに対して養老先生は「君は医学を勉強しているんじゃないのか。何を考えているんだ。脳の細胞というのは酸素を5分も供給されなかったら、細胞自体が壊れるじゃないか」と言ったそうですが、その学生は「いや人間のレベルを超えた解脱者なんです」などと何度も依頼して来たそうです。
その会話が、どういうわけか、気持ちが悪いというか、噛み合わないというか、居心地が悪いというか・・・。
そのうちに養老先生は、「この学生はこの問題に関して、もう脳の枠組みがガッチリとできてしまっていてい、枠組みの外のことは脳が認識しようとしないのだ」と気がついたそうです。
だから「話し合えば分かるというのはうそだ」ということです。
ある枠組みができてしまえば、そもそも脳が認識しません。


これはあきらかに、養老先生にバカの壁がある、というべきなのではないでしょうか。
釈先生が引用した文章だから、養老先生のニュアンスは分かりませんが、養老先生にもバカの壁があり、オウム信者にもバカの壁がある、だから話が通じないってことです。
養老先生は自分の中のバカの壁に気付いてないように読める。


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