芋蔓読書

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日本巡察記

実際に読んだのはこちら↓
東西交渉旅行記全集〈第5巻〉日本巡察記 (1965年)
本編以外に、ヴァリニャーノの伝記や付録(他の書簡等の資料)が載っていますが、東洋文庫版にもあるのかわかりません。


戦国時代の日本で布教活動をしていたイタリア人宣教師ヴァリニャーノが本国のイエズス会に向けて書いた報告書。
ヴァリニャーノさんは、織田信長といっしょに登場するルイス・フロイスの上司であり、伊東マンショ千々石ミゲルを使節として送り出した人。
ちなみに、ルイス・フロイスの書いた報告書(「日本史」)を、ヴァリニャーノは「長い」と却下したとかなんとか・・・

イタリア人宣教師が戦国時代の日本や日本人をどう思ったのかというのはとても興味深くおもしろいが、宣教師なので当然宗教についてもコメントしていて、それもまたおもしろい。

第三章 日本人の宗教とその諸宗派

(前略)
釈迦は、野心が強く、賢明で邪悪な哲学的な土民である。彼は来世のことに就いてはほとんど無智であったから、現世に於いて地位を得、その名を挙げようとし、浄らかで厳しい苦行の生活を装い、・・・(後略)


とか、

この釈迦は、非常に多くの書物を記した。正確に言えば、その弟子達が、彼が民衆に説いた教義をそれ等の書物に記したのである。これ等書物は、我等の間の聖書のように、彼等の間に極めて多大の信頼と権威を遺した。だが釈迦は賢明であったので、自ら企図するところを最もよく達成する為に、その教義を種々に解釈できるように説いた。


とか、
へえ〜〜〜、と。
うん、そういう捉え方もある。


キリスト教の宣教師というと、独善的で強引なイメージ(偏見・・・)がありますが、「いかに日本人のやることなすことが奇怪であろうとも、日本では我々が外国人なのだから、彼らの風習に従わなければならない」とか、「これこれの点においては我々ヨーロッパ人より優れている」とかいうような、未開な野蛮人の蒙を啓きに来た人とは思えない発言が多々ある。

日本人は他のことでは我等に劣るが、結論的に言って日本人が、優雅で礼儀正しく秀でた天性と理解力を有し、以上の点で我等を凌ぐほど優秀であることは否定できないところである。
(第一章 日本の風習・性格、その他の記述)


ヴァリニャーノさんは冷静で公平で立派な人だ!と思う一方、彼が会った日本人たちは現代人と違ってよほどすばらしい人たちだったのだろうかとも思った。

司祭たちが、弁明して、「日本人(のあなた方)は、私達が異なった風習の中で育ち、日本人の礼法を知らなことを考慮すべきだ」と述べた時に、日本人が度々私に答えたところであるが−彼等は次のように語る。
「このことに就いては、あなた方に同情するし、一年や二年なら我慢するが、幾年も経っているのであるから我慢できない。何故なら、あなた方が日本の風習や礼儀を覚えないのは、それを覚えようともしないし、それがあなた方の気に入らないからである。それは私達に対する侮辱であり、道理にも反する。何故なら、あなた方が日本に来て、その数も少ない以上は、日本の風習に従うべきであり、私達は日本の礼式をやめることはできないし、あなた方の風習に従うべきでもない。あるいはまた、あなた方が日本の風習を覚えないのが、あなた方にその知力と能力が欠けている為であるならば、日本人はそれほど無能なあなた方の教えを受けたりあなた方を師とすべきではない。」
(第23章 日本における司祭が修院の内外で守るべき方法)

ぐうの音も出ない感じです。
よくよく考えると、彼が会った日本人は、織田信長大友宗麟高山右近などの戦国大名たちなわけで、そりゃあ立派に違いない。


「日本人と会うときは、清潔を保ち、感情をあらわにしない重厚で威厳のある態度が必要だ、日本人の風習に従って礼をつくしつくされねば笑われ、馬鹿にされ、軽蔑され、布教に差し支える」というようなことを口をすっぱくして言うので、当時の宣教師は不潔で怒りっぽく軽薄だったのか?ということも疑問だ。カトリックは荘厳な様式美のイメージがあるから・・・

私は、司祭たちの信頼や威厳を失わせるようなこと、思慮や教養、礼儀に欠けた軽率な人間と思われること、人格を下げるような下品なこと、すなわち豚や山羊を飼育し、自ら食べる為に−これは日本人がはなはだしく嫌うことです−殺した牛の皮を売却すること、手に釣竿を持ち、下着で村々を歩くこと、釣針で川で魚を釣りながら時間を浪費すること、その他日本でよく行われる多くの軽率な行動をすることを禁止いたしました。
(付録 日本の風習に順応することに関する1586年12月20日付、コチン発信、ヴァリニャーノ書簡)