芋蔓読書

はてなダイアリーから引っ越しました

影の現象学



河合先生の40年くらい前のご著書になるのでしょうか。
まったく古びない!
河合先生の先見性、普遍性は素晴らしいが、40年前と日本や世界の状況が変わってないとも言える、と考えるとイヤだ。

善者が栄え悪者は罰せられるという因果応報の倫理は、現世だけでは実際に完結されておらず、これに極楽・地獄を加えてこそ、それが成立するのである。このためには、人間の死後の生命という純粋に宗教的な問題(すなわち、魂の存在の問題)と、善悪の判断およびそれにともなう賞罰という倫理的な問題、および因果論という論理構成、これらの三点をすべて肯定するとき、極楽・地獄という世界をもたぬかぎり、その思想は完結しないのである。言ってみれば、地下一千由旬に存在する地獄は文字どおり地上の世界の存在を支える役割を果たしているのである。ところが、近代になると、第三番目の因果論はだんだんと強さを増すと同時に仏教的な倫理的因果論としてよりも、自然科学的因果論として急成長を遂げ、第一の命題である死後の生命の存在を否定すると共に、極楽・地獄の存在をもあっさり迷信として打ち消してしまったのである。かくて、支えを失った地上の世界に混乱が生じてきたのも当然のことである。
この新しい自体に対処するためには、第二にあげた善悪の判断および、その賞罰の問題が大きく取りあげられなければならぬことは当然であろう。しかし、この点についての改変を行わず、単純に第二の問題を古来からのままの形で継承するときは、どうなるであろう。結局、人々は因果論を信奉しつつ、この世に極楽を建設しようと試みるだろう。この有難い仕事に熱中する人々は、これに反対する悪人はもはや地獄において罰せられぬことを知るゆえに、この世において罰せられねばならないと感じ始める。かくて、極楽をこの世に建設しようと志す人々によって、この世に地獄が出現せしめられることになる。ロレンス・ヴァン・デル・ポストは、この絶望的な時代のもっとも著しい特徴は、人々が「悪事をするための良い理由」を見つけることだと述べている。「良い理由」に従って、アメリカがベトナムに、ソ連チェコスロバキアに何をしただろう。人々に快適な生活を約束する良い科学の進歩は公害を生み出すことになった。
われわれがこのようなパターンにあきたらなく思うとき、いったいどうすればいいのだろうか。さりとて、われわれは地下に地獄の存在を認めることはもうなし得ない。ここで、われわれはかつての人類が思想の完結のために、世界を死後の世界や地界にまで拡張したように、ひとつの世界の拡張を行うべきではないだろうか。それは、われわれの心の世界の拡張であり、われわれの知っている心の世界の下に−あるいは上に−より広い領域の存在することを認めるべきであり、それは取りもなおさず、おのれの心の中に地獄を見出すことになるであろう。おのれの心に地獄を見出し得ぬ人は、自ら善人であることを確信し、悪人たちを罰するための地獄をこの世につくることになる。心の世界を拡張するということは、近代科学によって否定された魂の存在について、もう一度見直すことにもなるであろう。


またまた長い引用になってしまった。
まだほかにも引用したいところもあるが、また。