芋蔓読書

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 ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)


〜芋蔓〜「ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉」から〜
〜芋蔓〜「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」から〜



おもしろいかといわれればおもしろい。
これとこれがつながってるなら、これとあれの関係は?とか、もう一回読み直して、ストーリーを自分で作り直したくなる。
物語というより、材料という気がした。
いろんなテーマがあるけれども、その中のひとつについて。


この世には絶対的な悪というものがあって、それには果敢に立ち向かって、徹底的にやっつけるべきだ。それが人の形をとっていれば殺してしまえ!・・・という書きかたはしてないけど、とにかく主人公チームが悪人を殺してしまう話だと思った。そんな話はいっぱいあるし、悪をやっつければすっきりして楽しい気分になるものだ。ウルトラマンが怪獣を倒して「それでいいのか?」とは思わない。思うこともできるけど、まあ思わない。でも、どうしても、これに関しては「それでいいのか?」と思ってしまう。正義が悪を倒してスッキリする物語じゃないか!と思えないのはなぜ?
考えてみるに、それはこの「悪」が、ご近所の仲良し女子高生の中にもあるし、愛する奥さんの中にもある。女子高生と奥さんは、皮剥ぎボリスやワタヤノボルのように悪を体現する人物ではないけど、悪をもっている。主人公ももっているし、普通誰でももっているだろう。10%ならよくて、100%ならダメなの?・・・ということが釈然としないのでしょう。
絶対的な悪というものはあるし、過程はどうあれ現状では「悪人」としかいいようのない人がいることも理解できる。だからといって暴力や殺人が正当化されるとは思ってないし、赤の他人、あるいは家族として存在する悪人や、善人の中の悪とどう付き合うか、ということを知りたいのに、「悪ってものがあるんだよ」「知ってるよ!」という感じなのであった。
ウルトラマンが怪獣をやっつけて、「ありがとうウルトラマン!」という話を、「暴力を正当化してる」とは全然思わないのになー。なんでだろうな・・・。


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