芋蔓読書

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神の微笑


〜芋蔓〜「芹沢光治良―人と文学」から〜


芹沢 光治良 / 新潮社 (2004/01)
神の微笑 (新潮文庫)


とにかく、まず、「教祖様」が書かれたいきさつが分かった。
天理教の出版関係からの依頼があったが、教団幹部との温度差があったり、資料の提供がスムーズに受けられなかったり、あまりよい環境でのスタートではなかったようだ。

その信仰のために、両親や多くの親族が、一生を捧げて、しかも惨めに生きている天理教とは、こんなものだったのか、本質を識って公にするのには、この機会しかないと、もう一度思った。資料はなくても、何とか探して書くぞと、憤りから覚悟した。


しかし、内容はそんなふうでは全然なく、教祖(中山みき)や天理教の神様について、批判的・攻撃的な雰囲気は全くない。かといって、妄信している人が書いたように見えないのが不思議だった。
最初は好意的でなかったからか、客観的な立場で書かれているように見え、でも、肯定的(?)な、不思議で絶妙なバランス感覚で書かれていると思いました。
それはさておき、「教祖様」について筆を進めるうちに、


宇宙の創造神が中山みきにも降りたと判断した時は、うれしかった。


というようになった。
中山みきにも」というのは、「釈迦にも」「イエス・キリストにも」という意味だと思います。


その後、

約10年かけた作品だが、「骨折り損の草臥れもうけ」というように、書き上げた時には、すっかり気落ちがしてしまった。


と、「教祖様」の後書にも書かれているようなクールな、突き放した感じになってしまっている。


それは、中山みきの晩年を書いている段階で、創造神がみきにも降りたという確信に動揺が生じたから、とのこと。
これもまた、「教祖様」からはあまり感じなかった。
教祖の周囲の信者に対しては批判的な書きぶりだが、教祖に対して何か疑いが生じたようには読めなかった。
側近の信者や教団と教義、宗教、信仰の関係ということも、難しく、またおもしろい、興味のある問題だと思ったくらいです。


「教祖様」(昭和34年刊行)を執筆した後は「天理教」からは遠ざかっていたはずなのですが、この「神の微笑」を読むと、


昭和45年  中山みきに会う(中山みきは明治20年没)
このときにいろいろ予言されたようなことがあたる、など、宗教的な?不思議な体験をしている。
昭和54年頃 楓など植物の声が聞こえるようになる。
昭和57年  妻没。この後、「神の微笑」まで創作はしていないようだ。
昭和60年  伊藤青年に会う(中山みきが乗り移っている?青年で、彼の口から中山みきの言葉を聞く)
        直接神様の声を聞く(神についての本を書くように、という指示)


ということが書かれています!
これは「小説」なのでしょうが・・・。
(年代は、上記が事実だったとして、●●年前などの記述と、他の年表を参照して合体したもの)
ちょっととまどう感じです。
現在の私は、なんだか「宗教」よりも「神様と個人の関係」に興味があるようなので、興味のド真ん中!
とも思うのですが、なんだかうまく理解できない感じです・・・。
結局、晩年は天理教に帰依したのか、というとそうではないらしいのです。
自分の信仰を、自分の知っている宗教用語として天理教の言葉で語った、ということかもしれませんし、「天理教原理主義」みたいな理解もできるでしょう。


うむ!引き続き、探求を続けましょー。
内容的にもまだ序章、という感じがします。
どっち方面へ向かうのか・・・。
(この後、毎年1冊書き下ろしていて、シリーズとして認識されている)



芹沢光治良文学館」という、ものすごく充実したHPがあり、参考にさせていただきました。
芹沢文学を愛する方たちの場のようで、宗教とは関係なさそうです。
今でも毎月のように読書会が開かれています。ほんとにすごいです。


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