芋蔓読書

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〜芋蔓〜「おとこ友達との会話」から〜



何か軽く読むものないかな〜、と図書館のエッセイコーナーを徘徊中、手に取ってぱらっと開いた最初のページが「日本人の宗教性」みたいなタイトルだったから読むことにした。
「日本人と宗教」だったかも?
しかし、これについては特に思うところはなかった。
芹沢光治良「教祖様」の書評があったのには驚いた。河合先生は天理大学で教鞭を取られたことがあったのですね〜。そういや天理の病院で亡くなられましたね。
「おとこ友達との会話」で白洲さんが誰かに語っていた、死にそうなときに「大丈夫、大丈夫」と言ったという話がでてきた。
河合先生も白洲さんから直接その話をきいたみたいだけど、印象が大きく違う。
「おとこ友達・・・」では白洲さんが誰かに語ったそのままの口調を読めるわけですが、その印象は、臨終の場という緊迫したなか、ユーモラスだな〜(「大丈夫、大丈夫(完全にうわごと)」「いやいや、全然大丈夫ちゃうから!」みたいな)とか、白洲さん強いな〜、とか、そういう感じ。
しかし、これが河合先生が聞くと一味違う!
というのは、その死にかけたときに白洲さんが見たのは素晴らしい「花道」だった、ということ。「これなら大丈夫。ひとりで行ける」と。
うーん、私が聞いたのと(まあ実際に聞いたのは対談相手だが)、先生が聞いたのとではこうも違うのか!と。
私の感想は「はっはー、おもしろいな。こんな風に死ねるとよいが」という程度。
先生の文章はすばらしいので、説明できない。


後日追記します。
追記(2009年9月)

「死」は悲しいことだ。これは誰もが知っている。しかし、「死」にはもうひとつ異なる側面があるように思う。故人となられた白洲正子さんに次のような話を聞いたことがある。
白洲さんが重病で、もう臨終と思われたとき、ご本人は涼しい顔で「大丈夫、大丈夫」といわれ、周囲の人は驚いたらしい。このときは亡くなられず奇跡的によくなられ、そのときの体験をお聞きしたわけである。
白州さんは花吹雪の素晴らしい道を歩いており、これなら大丈夫一人でゆける、というので「大丈夫」と言われたらしい。あちらへの道がどれほど素晴らしい「花道」であるかを、白州さんは見て来られたのだ。
私はどんな人もどんな場合でも、死んでゆく人はこんな「花道」を通ってゆくのだと思っている。ただ、それをどれだけ認識したり語ったりできるかは別であるけれど。
地上ではどんなに大雨が降っていても、飛行機で高くあがってしまうと、まったくの晴天である。このように、「死」を体験するレベルがどのあたりか、ということによってその姿や状況は相当に変化する。
言うなれば、「死」を晴れのレベル、曇りのレベル、雨のレベルのどのあたりで経験するかによって様相が異なってくるのだ。これらすべてのレベルをひっくるめて「死」ということがあるのだが、亡くなってゆく人をみとる治療者が、雨のレベルにのみとどまって、つまり泣いていたのでは、死んでゆく人はますます不安になったり、同様したりでたまらなくなる。死んでゆく人の傍らにあって、その道を見届ける役割にある人は、そこにしっかりと立っていなくてはならない、と言って、それは単なる傍観者でもない。悲しくないはずはない。
しかし、その人は「死」のほかの側面、言うなれば「晴れ」のレベルを知る者として、そこに泣かずにいることができる。このような安心感に支えられて、死んでゆく人は悲しみや苦しみを体験しつつも、晴れやかな「花道」へと到達できるのである。


長い引用すいません。

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佐渡裕さんという指揮者がおもしろいと言っている!自伝を読む。
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