芋蔓読書

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村上春樹、河合隼雄に会いにいく


河合 隼雄, 村上 春樹/ 岩波書店 (1996/12)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく


河合先生が、村上春樹のことを褒めるようなことをよく言われているので、読んでみたいが読む気が起こらん!ということで、対談を読んでみた。
おもしろい!
この対談は、ねじまき鳥クロニクルについての対談とのこと。
基本的には、村上春樹は何を書いているのだろう、ということをてっとり早く知りたい、ということがあったわけですが、

村上:なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己治療のステップだったのだと思うのです。

村上:ただ、ぼくの感じでは、非常に傲慢な言い方に聞こえるかもしれないけれど、『ねじまき鳥クロニクル』という小説がほんとうに理解されるのには、まだ少し時間がかかるのではないかという気がする。
(中略)
というのは、ぼく自身、小説が自分自身より先に行っている感じがするからなんですよね。

村上:一番困るのは、ぼくが一人の読者としてテキストを読んで意見を発表すると、それが作者の意見としてとらえることなんですね。
河合:作者の言っているのがいちばん正しいと、思う人がいるということですね。そんなばかなことはないのですよ。


まあ、つまり、作者本人は何を書いているか分かっていない、と。
そして、河合先生にはなんか分かってる、と。
しかし、それだけではない。なぜなら、村上春樹はベストセラー作家だからだ!
確かに、病んでるときは、日記などをつけることで癒されるということがあるというのはよくわかる。ブログとか。
しかし、そんなものがなぜベストセラーになりえるのでしょうか?

河合:(芸術家の人は)個人的に病みつつも、個人的な病をちょっと越えるということでしょう。個人的な病を越えた、時代の病とか文化の病というものを引き受けていることで、その人の表現が普遍性を持ってくるのです。


なるほど!
とにかく、ねじまき鳥を読もうという気になりますね。


ねじまき鳥は、夫婦のことを書いた小説でもある、ということで、以下のような会話が。

河合:もうひとつあるのは、日本人の場合は、異性を通じて自分の世界を広めるということを、もうすっかりやめてしまうというのもあるんですね。細かいことを調べて学者になっているとかね。エロスが違うほうを向いているのです。
(中略)
村上:あるいは会社で一生懸命働くとか。
河合:そうそう。生きた人間ではないものにエロスを向けている人はすごく多いですよ。
村上:でも、いちがいにどっちがいいとは言えない。
河合:言えないです。結局、自分がどういう生き方をしていくかということだと思うんです。夫婦と言うことをすごく大事にする行き方と言うのは、少数の人にしかできないものかもしれません。
(中略)
そして、日本人にとっては、夫婦ってのは、おそらく宗教ということがわかる入り口になることが多いのじゃないかと思います。


宗教の入り口が夫婦!何のことを言っているのか、全然わかりません!
全然です!


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この前の回の二人の対談について
〜芋蔓〜こころの声を聴く―河合隼雄対話集へ〜

村上さんを読むぞ!この対談は3巻を書いてからのことなので、第3部へのリンク。
〜芋蔓〜ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)へ〜